美しい諫早の町の未来を思う

鹿児島大学理学部教授 佐藤正典

 海の環境を大きく損なう沿岸開発は、これまで日本で何度も繰り返されてきました。それによって真っ先に被害を受けるのは、いつも漁民でした。漁民の生業が海の自然と直結しているからです。その被害者(漁民)が強大な権力をもった加害者(国や大企業などの組織)に対抗するための最後の手段が「裁判」でした。どんな権力者も確定した判決には従わなければならないというルールがあるからです。
 諫早湾干拓事業の問題では、一刻も早く、問題の原点にもどり、このルールを守り、排水門を開放すべきです。それに伴う営農者の被害については、農水省がきちんと謝罪した上で、十分な補償をして許してもらうしかありません。この機会に、入植者には内陸部の代替地を斡旋することができないでしょうか。将来いつ起こるかわからない大津波などの被害を未然に防ぐためには、あまりにも低い海面下の干拓地を維持するよりも、高台にある耕作放棄地をよみがえらせるほうがいいからです。長い目で見れば、漁民を救うことが、結局は農民を救うことにもなると思います。今は、そのような方針転換ができる最後のチャンスかもしれません。新しい干拓地に多くの人が住み着き、土地が売却されてしまったら、このような方針転換はきわめて困難になります。
 営農者の人々には、多大なご苦労をおかけすることになり本当に申し訳ないのですが、日本に残された最後の「豊かな内湾」の漁業を守るために、そして、その漁業を支えている干潟生態系の絶滅寸前の生きものたちを救うために、どうか閉め切られた諫早湾奥部の海底を元の彼らの世界に返していただけないでしょうか。
 かつて日本中の海の豊かさを支えてきた多くの干潟の生物は、今、絶滅の危機にひんしています。有明海の奥部は、それらの生物が生き残っているほとんど最後の場所なのです。それらの生物に支えられて、ここに豊かな漁業も残っているのです。

慶巌寺の名号石
箏曲「六段の調」発祥の地とされる慶巌寺(けいがんじ)の境内にある名号石(みょうごうせき)(長崎県指定有形民俗文化財)。貞和7年(1351年)に、衆生(生きとし生けるもの)の平等利益を祈念して建てられた。諫早市中心部の本明川(諫早湾の閉め切りによって消滅した干潟生態系の最上流部)のそばに立っている。


 長崎県諫早市は、本来は、広い干潟とそれを育む森の豊かさに恵まれた美しい町です。しかも、慶巌寺(写真)などの名刹が並び、伊東静雄(詩人)、野呂邦暢(作家)らを生んだ歴史と文化の町でもあります。しかし、このままでは、荒廃した自然と住民同士の対立しか残らないでしょう。子どもたちは、日本で初めて確定した判決を守らなかった故郷の不名誉を背負って生きていかねばなりません。今、諫早市が確定判決に従って、日本で初めての大規模な環境復元に積極的に取り組むならば、諫早市は「環境復元都市」として大きく生まれ変わる可能性があります。干潟の再生と漁業の復活は、何よりも諫早の子どもたちにとって、故郷への誇りと未来への希望につながるでしょう。各地から多くの観光客が干潟の復元を見学に来るでしょう。「干潟再生ムツゴロウ米」などという後背地の農作物のブランド化も可能でしょう。このようにして、これまでの対立を乗り越え、本来の自然と文化の恵みを生かした町づくりを始めることができないでしょうか。諫早は日本中が失ったすばらしいものをたくさん持っているのです。それを、地元の人々が気づいていないだけなのです。

海をよみがえらせる

海をよみがえらせる 発行:岩波書店 A5判71頁 本体価格560円(税別)

 付記:最近上梓した「海をよみがえらせる 諫早湾の再生から考える」(岩波ブックレット)もご参照ください。
ラムネットJニュースレターVol.15より転載)

2014年03月20日掲載