有明海の漁業崩壊と諫早湾干拓事業の因果関係

北海道自然保護協会副会長/元水産庁水産研究所室長 佐々木克之

 2010年12月に福岡高裁で、5年間の諫早湾の開門調査を命じる判決があり、これが確定判決となりました。しかし、開門調査開始の期限である2013年12月になっても農水省は開門調査を実施せず、今日に至っています。この小論では、漁獲量激減が諫早湾干拓事業の潮受け堤防により生じたことを解説し、開門によって漁業が回復することを明らかにします。

■崩壊する有明海漁業
 干拓事業が開始された1989年の魚類漁獲量指数を100とすると、2012年の指数は25、すなわち75%減です(図1)。その上、図から明らかなように減少傾向が止まらず、今後さらに減少していくことが予測されます。このままでは有明海沿岸の漁業を継ぐ若者はいなくなり、漁業崩壊の危機です。


図1 有明海魚類漁獲量の推移
は1989年(諫早湾干拓事業開始)、は1997年(諫早湾堤防閉め切り)


■開門(調査)を要求する漁民
 有明海漁業がこのような惨状になったのは諫早湾干拓事業、とりわけ諌早湾干潟を堤防で閉め切ったためであると漁民は考えて、まず堤防の水門を開けて干潟に塩水を導入することを求めて裁判を闘ってきました。2010年12月、福岡高裁で、3年間の準備の上、5年間水門を開放して調査することが決定となりました。しかし、農水省は決定を守らず、徹底抗戦の構えです。裁判決定を無視する農水省は、解釈改憲で集団的自衛権を閣議決定した安倍首相と同じで、民主主義の危機です。

■漁業被害と干拓事業の因果関係
 私たち(松川康夫・佐々木克之・羽生洋三)は、諫早湾干拓事業は有明海奥部へも影響を与えて、夏季の貧酸素水を引き起こして、有明海の漁獲量を減少させた原因となっていることを明らかにした論文を海洋学会誌(2014年5月号)に発表しました。
 一般に雨量が多いと、河川水が栄養塩とともに湾に流入して、赤潮や貧酸素水が生じます。1973年以降の7月の雨量と貧酸素の関係を見ると、1990年初めまでは、雨量が多いと貧酸素水が多く、雨量が少ないと貧酸素水も少ない当然の結果が得られました。しかし、1990年代後半からは雨量の増加より前に貧酸素水が現れることを見出しました(図2)。この貧酸素水はまず諫早湾口周辺に出現し、さらに有明海奥部に広がっていきます。諫早湾起源の栄養塩(リン酸・無機態窒素)が上層でも下層でも有明海の奥部まで輸送されることも明らかになりました。諫早湾干潟の消失→諫早湾環境の悪化(赤潮・貧酸素水)→諫早湾口から有明海奥部へ栄養塩・貧酸素水の輸送、この結果、有明海奥部では赤潮・貧酸素水となります。


図2 有明海奥部のある調査点における雨量と酸素濃度の変化
雨量(左目盛り)が多くなる(下方へ)と、海水中の酸素濃度(右目盛り)が少なくなる(下方へ)。
1990年代後半からは酸素濃度の減少が雨量の増加より前に起きていて、1997年の諫早湾堤防閉め切りに対応している。また、1980年代に比べて1990〜2000年代の酸素濃度が低くなっていることも注目点。


 有明海が他では考えられないほど漁場が悪化した原因は、(1)諫早湾を潮受け堤防で閉め切って、調整池という「汚濁物質製造場」を作ったこと、(2)諫早湾の地形的特徴(図3)の2つです。(1)によって諫早湾は何も獲れない海となり、(2)によって諫早湾の汚濁が有明海奥部に輸送されました。
 このことを理解すれば、開門による諫早湾干潟のある程度の浄化力の復活が、諫早湾と有明海の環境改善に役立つことは明らかです。将来は、洪水と高潮対策を調整池ではなく、佐賀県などと同様に海岸堤防等で行い、潮受け堤防を取り除けば、以前のような漁業が復活することは間違いないと考えられます。

図3 有明海と諫早湾
有明海の湾奥が埋め立てられると、湾奥側は貧酸素化しますが、湾口側は悪化しません。諫早湾の場合、調整池からの汚濁物質は、下層では有明海の湾奥へ、上層では湾口側に輸送されるため、諫早湾も有明海の湾奥も島原半島沿いも貧酸素化します。

ラムネットJニュースレターVol.18より転載)

2015年02月17日掲載