私の見てきた世界のタンチョウと湿原

タンチョウ保護研究グループ理事長 百瀬 邦和

 最新の調査では、世界のタンチョウの総数は3800羽ほどで、その約半数が北海道に生息しています。北海道は分布の東端にあたり、大きな移動はしていませんが、大陸ではほとんどの個体がアムール川本・支流沿いの大湿原で繁殖し、揚子江以北の沿岸部と、朝鮮半島中部の軍事境界線付近に渡って越冬しています。繁殖地の西端はモンゴルの東部付近になるので、種としての分布域はツル類の中では比較的狭いと言えます。そうはいっても、飛行機を使ってさえ簡単に回りきれるものではない広い分布域の中で、全体の半分近い数が北海道の東部の狭い範囲にいるのですから、そこでさまざまな問題がおきています。私たちは道東に比べて本来の生息状況にあるという予想の下に、ロシアの繁殖地、そして中国、韓国の越冬地を見てきました。そして、海外での活動の後に改めて道東の湿原を見ると、広すぎず、狭すぎず、変化に富み、各種の問題も抱えている、保護と活用をテーマに取り組むためには、世界的にも好適な条件を備えているように見えます。

抱卵中のタンチョウ(釧路湿原)
抱卵中のタンチョウ(釧路湿原)
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ロシアの湿原(ハンカ湖畔)
ロシアの湿原(ハンカ湖畔)

 日本のタンチョウは釧路湿原を代表する鳥として復活を始めました。1924年に再発見されたのは釧路湿原の最奥部とも言える場所で、現在も保護活動の中心として続いている冬の給餌は、釧路湿原を取り囲む地域で戦後間もない時期に開始されました。再発見後も長い間タンチョウは給餌場や畑で冬にだけ見られるまれな鳥で、広い湿原の中で繁殖しているのは一部の研究者と少数の地元の人だけでした。一般にはガンやハクチョウと同様にシベリアから渡ってくると信じられていたようです。当時、少なくても繁殖期に関しては真に湿原の鳥だったということでしょう。
 毎年冬に行われている一斉調査で、確認数が100羽を超えるようになった頃からは釧路湿原に隣接した畑でのタンチョウによる食害が訴えられるようになってきました。現在の生息数は当時の10倍をはるかに超え、分布も根釧原野から十勝平野やオホーツク海沿岸方面に広がりました。しかし、そこはどちらも日本を代表する畑作地帯ですし、釧路湿原のような大きな湿原はありませんから、タンチョウは川や湖に沿って残っている狭い湿原に巣を作り隣接した畑を餌場としています。一方、根釧地方の畑は、大部分が酪農用の牧草地でしたが、近年は飼料用のトウモロコシ畑が増え、さらに牧場では配合飼料を多く扱うようになってきました。タンチョウは長年にわたって給餌をうけてきたことによって人への警戒が減り、その延長で、牧場で牛の配合飼料を食べに牛舎内まで侵入する個体も増えています。湿原の神が人里の鳥になり、さらに、これは野生の鳥?とまで言われるような様子が珍しくありません。

給餌場(鶴居村中雪裡)
給餌場(鶴居村中雪裡)
牧場のツル
牧場のツル

 北海道のタンチョウは人なれという形で酪農に適応して個体数を増やしてきました。農家から嫌われているという側面も当然のように出てきました。環境省は保護増殖事業の終了を見据えて給餌量の削減を進めていますし、タンチョウが餌場として依存してきた農業、特に牧場での乳牛の飼い方が放牧型から室内型、言い換えれば牛乳生産工場型に変わってきています。半世紀以上にわたって右肩上がりで増加してきた北海道のタンチョウは、私たちの調査では2016年の1850羽をピークに増加が止まっています。収容力が限界に達してきたということでしょうか。
 大陸を含めた現在のタンチョウの状態は、野生生物を保護するということは何であるか、保護活動のゴールをどうイメージし、社会が共有していくのかという問題が問われているように思います。タンチョウ保護研究グループは、タンチョウを通して広く湿原や自然の保全を進めていくことを活動の目的としています。タンチョウの保護は本来の自然の中で「湿原の神」として、豊かな湿原の象徴として生き続けることを目指すべきでしょう。
 北海道には毎年多くの人たちがタンチョウを観にやってきますが、そのタンチョウを湿原の象徴として紹介し、アイヌの人々がサロルンカムイ(湿原の神)と呼んだタンチョウを湿原保護のシンボルと位置付けて活用していくことが、これからの保護活動の方向になると思っています。

2020年12月20日掲載